アフリカドッグスを一緒に創業した井上遼介は、学生時代、建築を学んでいた。彼が好きな建築に、「ヴァナキュラー建築(様式)」というのがある。ヴァナキュラーには「その土地で固有の」、あるいは「土着的な」という意味があって、その地域で最適化された建築のことを言うらしい。
彼は、その土地で固有の「建築」が好きだったが、ぼくは、その土地で固有の「人の営み」が好きだ。それこそが、その地域の文化を生み出してきたと言っても過言ではない。そのとき、その場所で、なにかの拍子で出会った人たちは、そこで固有のエネルギーを生み出しているのではないか、というのがぼくの仮説だ。
「学び場とびら」で起こっているのは、その仮説の証明だと思う。たまたまそのタイミングに居合わせた人と交わって対話をする。そこで生まれた温度感の高まり(エネルギー)をもとに、アクションを起こす。そうしたアクションの結果(エネルギー)を、またその場で、たまたま居た人たちに投げ返す。こうしたエネルギーの循環が発生しているような気がする。こうしたエネルギーの循環は、制約があると起こりにくい。また、「ここは大丈夫だ」という安心感も必要な要素の一つになりうる。
場づくりにおいて重要なことは、きれいな設備を整えることではなく、いろんな壁を取っ払い、誰もが安心して居られる空間づくりである。そんな環境設定ができれば、エネルギーの循環は複利的に増大していく。いろんな人が交わることによって、そのエネルギーは大きくなるだけでなく、形や質を変えて、巡っていく。それがまた新たなエネルギーと結びついたりする。
アフリカドッグスの例で言えば、予定より大幅にトーゴへ向かう時期が早まるところから始まり、日本人で初めてトーゴに会社をつくって、そのお土産話を話す機会があり、いろんな人と繋がって、講演に呼ばれ、そこでまた新たな関係性ができ、次なるアクションが決定していった。 いま、学び場とびらから始まった固有のエネルギー循環は、京都において、染色業界の救世主が生まれるかもしれないところまできている。その地域にしかないものを大切にできる社会が生まれつつある。地域社会にとっての「優しいうねり」が、学び場とびらから起こっている。
僕にとっての「とびら」 一言でいうと「安心感とワクワク感」だと思います。 いつ行っても受け入れてくれるという安心感と、いつも何かかがおこりそうなワクワク感の同居する場所。 安心感があるから、刺激を前向きに受け止められるのかなと。 よく「何をするか、よりも、誰とするか、が大事」と言われますが「とびら」の場としてのエネルギーを考える時「どこでするか」はもっと大事かもしれない、と思わされます。 毎月の楽しみになっています。
可愛い2 人の息子をとびらのインターン一期に送り込んだのは去年の夏。インターンといってもほとんど自由。だけど初めてのカレーイベントと幸せな空気感に感動した次男かずきはとびらにめちゃくちゃハマり毎日のように京都へ通うことになる。(ちなみに⻑男はフェイドアウト)
日々通う中でとびらの皆さんのサポートにより、息子は路上に立ってグチを聞く企画をやってみたり、昨年12 月に新井和宏さんをお呼びしてお金についてのイベントを開催したりと経験を積む場を与えてもらう。が本人的には挫折を味わい彼自身は少し葛藤の時期に入るがなんとか克服。
また世界旅行へのチャレンジとなり現在は7 カ国目のドイツに滞在中。とびらに出会ってなければきっとこのコロナ禍に出発してないように思うし、世界へチャレンジする勇気もなかったかもしれない。今は現地での出会いを楽しみつつ自分のアイデンティティを探す旅を楽しんでいるので親として誇りに思いつつ、とびらの皆さん、そして出会ってくださった方々に感謝しかない。
とびらというところは、何の制約もなく、すべてが自己責任。そして色んな大人や若者からも学びを得ることができ、多様性な生き方や価値観について気づく機会を与えてくれる有り難い場所。
次男のことをメインに書かせてもらったけれど、とびらの皆さんやそこからのご縁に1 番影響を受けてるのは本当は私かもしれない。
それも中田さんの独特な何もジャッジをしない、あるがままを受け入れる、その人を信頼する、というただそこにいる、という感じの柔らかい場の空気。そこから派生してどんな生き方がしたいか、、というのをたくさん学ばせてもらっている私がいると思う。とびらの様な場所を作りたいと思っているのもその影響のひとつ。息子のことも楽しみだけど今後の私がどうなっていくのかも楽しみ。
中田さんとびらの皆さん
私たちをあたたかく見守っていただき本当にいつも有難うございます。
深謝